レスリング世界選手権第3日目が27日、中国・広州の天河体育館で行われ、フリースタイル60キロ級の高塚紀行(日大)が銅メダルを獲得した。世界選手権で日本男子勢のメダルは、2003年の池松和彦(当時・日体大助手)の銅メダル以来3年ぶり。
高塚は世界選手権初出場だったが、初戦から動きが良く、2000年世界ジュニア王者のアビル・イブラギモフ(アゼルバイジャン)にストレート勝ち。2回戦では2005年欧州2位のディディエル・パイス(フランス)にピリオド数2−1で勝利を収めた。
「一番苦しかった」と高塚が振り返った準々決勝。相手はハンガリーのジェルゴ・ウスレル。高塚は思い切ってタックルに入ろうとするが、ウスレルの長い手足に阻まれる。一方のウスレルも攻め手を欠き、ともにコイントスでピリオド数1−1で第3ピリオドを迎える。開始早々タックルで1点を取ったが、ラスト30秒で相手の捨て身技で1失点。現行ルールでは同点だと点数を後に取ったほうが優勢となるため、高塚のメダルの望みは断たれたかに見えた。しかし高塚はあきらめていなかった。残り3秒でなんとかバックを奪い、2−1で勝利。メダルをかけて準決勝へ進出を決めた。
だが、この時、高塚の体に異変が起きていた。準々決勝で左ひざの裏を痛めてしまったのだ。さらに「疲労が出てしまって気持ちが弱くなってしまった」と3回戦までのアグレッシブな動きが見えない。準決勝では攻撃も単発になり、ストレートで敗退してしまった。
準決勝で敗れても3位決定戦があり、まだメダルへの望みは残されている。しかし高塚のセコンドに付いた富山英明総監督は大激怒。「初出場で準決勝進出ということで少し満足した表情をしていた。だから気合を入れなおさねば」と3位決定戦まで気持ちを切り替えるようにゲキを飛ばした。高塚はそれに応えて2005年の欧州王者バシル・フェドロシン(ウクライナ)との3位決定戦で一度も下がることなく、ストレート勝ち。日本男子勢に3年ぶりとなる世界選手権のメダルをもたらした。大学3年生の若さで世界の表彰台に立った高塚は、「メダルを獲らないと(出場した)意味がないと思っていた。メダルを獲れて非常に自信になった」とうれしさを爆発させた。
高塚のフリー60キロ級は国内でも屈指の激戦区。国内選考を勝ち抜くことは、世界で勝つことと同じくらい至難と見られている。7月にはプロ格闘家の山本“KID”郁徳のアマチュア復帰も発表され、全日本王者の高塚は、KIDのライバルとして多方面で注目を浴びていた。しかし、8月の全日本学生選手権では腰痛の影響から、決勝で2005年の世界選手権代表・湯元健一(日体大)に敗れて準優勝。調整不足が懸念されたが、そこはきっちり世界選手権に照準を合わせてきた。
調子が下降気味だった8月下旬、「(全日本王者でも)自分はまだまだなので、KID選手やほかの選手をどうこう言う権利はないです」と、KIDのアマチュア復帰に対して、控えめにコメントしていた高塚。
だが世界の表彰台を経験し、「五輪は自分の中で一番大きな大会」と北京五輪代表を意識するコメントも飛び出した。来年の世界選手権で表彰台に上がれば、北京五輪の代表がほぼ確定する。そのためにも国内大会ではもう負けられない。
「メダル獲得でおごらないで、常に練習をしっかりやりたい」
更なる進化を誓う高塚が、KIDらの挑戦を押しのけて北京五輪まで走り抜ける。
(スポーツナビ) - 9月28日5時10分更新
高塚は世界選手権初出場だったが、初戦から動きが良く、2000年世界ジュニア王者のアビル・イブラギモフ(アゼルバイジャン)にストレート勝ち。2回戦では2005年欧州2位のディディエル・パイス(フランス)にピリオド数2−1で勝利を収めた。
「一番苦しかった」と高塚が振り返った準々決勝。相手はハンガリーのジェルゴ・ウスレル。高塚は思い切ってタックルに入ろうとするが、ウスレルの長い手足に阻まれる。一方のウスレルも攻め手を欠き、ともにコイントスでピリオド数1−1で第3ピリオドを迎える。開始早々タックルで1点を取ったが、ラスト30秒で相手の捨て身技で1失点。現行ルールでは同点だと点数を後に取ったほうが優勢となるため、高塚のメダルの望みは断たれたかに見えた。しかし高塚はあきらめていなかった。残り3秒でなんとかバックを奪い、2−1で勝利。メダルをかけて準決勝へ進出を決めた。
だが、この時、高塚の体に異変が起きていた。準々決勝で左ひざの裏を痛めてしまったのだ。さらに「疲労が出てしまって気持ちが弱くなってしまった」と3回戦までのアグレッシブな動きが見えない。準決勝では攻撃も単発になり、ストレートで敗退してしまった。
準決勝で敗れても3位決定戦があり、まだメダルへの望みは残されている。しかし高塚のセコンドに付いた富山英明総監督は大激怒。「初出場で準決勝進出ということで少し満足した表情をしていた。だから気合を入れなおさねば」と3位決定戦まで気持ちを切り替えるようにゲキを飛ばした。高塚はそれに応えて2005年の欧州王者バシル・フェドロシン(ウクライナ)との3位決定戦で一度も下がることなく、ストレート勝ち。日本男子勢に3年ぶりとなる世界選手権のメダルをもたらした。大学3年生の若さで世界の表彰台に立った高塚は、「メダルを獲らないと(出場した)意味がないと思っていた。メダルを獲れて非常に自信になった」とうれしさを爆発させた。
高塚のフリー60キロ級は国内でも屈指の激戦区。国内選考を勝ち抜くことは、世界で勝つことと同じくらい至難と見られている。7月にはプロ格闘家の山本“KID”郁徳のアマチュア復帰も発表され、全日本王者の高塚は、KIDのライバルとして多方面で注目を浴びていた。しかし、8月の全日本学生選手権では腰痛の影響から、決勝で2005年の世界選手権代表・湯元健一(日体大)に敗れて準優勝。調整不足が懸念されたが、そこはきっちり世界選手権に照準を合わせてきた。
調子が下降気味だった8月下旬、「(全日本王者でも)自分はまだまだなので、KID選手やほかの選手をどうこう言う権利はないです」と、KIDのアマチュア復帰に対して、控えめにコメントしていた高塚。
だが世界の表彰台を経験し、「五輪は自分の中で一番大きな大会」と北京五輪代表を意識するコメントも飛び出した。来年の世界選手権で表彰台に上がれば、北京五輪の代表がほぼ確定する。そのためにも国内大会ではもう負けられない。
「メダル獲得でおごらないで、常に練習をしっかりやりたい」
更なる進化を誓う高塚が、KIDらの挑戦を押しのけて北京五輪まで走り抜ける。
(スポーツナビ) - 9月28日5時10分更新